オープンカーとリネンジャケット 非日常を纏う美しさ

 日差しが日々輝きを増し、空気が芳しい季節になると、オープンカーとリネンジャケットが恋しくなる。だが、なぜ、オープンカーとリネンジャケットなのだろう。

 

 今まで比較的いろいろな車に乗ったことがある私だが、2台のメルセデスSL、ジャガーXJS-C、プジョー208カブリオレ、ケーターハムスーパー7など、私にとってオープンカーは特別な存在となっている。

 イギリスではある種のオープンカーをドロップヘッドクーペと表現する。頭を落としたクーペ、つまりオープンカーの特別感は外の空気との一体感にある。幌をあげて走りだすと、光も空気の匂いも体感するスピード感も、すべてのものが一瞬にして劇的に変わる。それは日常からの脱出の瞬間だ。

 

 オープンカーといえば思い出すのは、ジャン=リュック・ゴダール監督の映画『気狂いピエロ』の中のワンシーンである。ジャン=ポール・ベルモンド演じる主人公のフェルディナンは結婚生活に倦怠を感じている。そこで再会する元恋人がアンナ・カリーナ演じるマリアンヌだ。

 アウトビアンキプリムラに乗るジャン=ポール・ベルモンドと、アルファロメオ・ジュリア・スパイダーに乗るアンナ・カリーナが、互いのオープンカーから身を乗り出すようにしてキスを交わすシーンがある。この後に起こるふたりの破滅的な逃避行を観ると、この初期の情熱的なキスシーンはより鮮烈なものとなる。オープンカーは自由の象徴なのだ。

 

 私の中でオープンカーとリネンジャケット、この組み合わせのイメージが鮮明になったのは、パリのサンジェルマンのカフェで見かけた老紳士のせいかも知れない。

 彼はアイヴォリーのリネンのスリーピースにパナマハットを被り、ロールスロイスの白のコーニッシュ、のドロップヘッド・クーぺでカフェに乗り付けていた。聞いたところでは、一杯のカフェとシガーを楽しむ、それだけのためにこうしてカフェにやって来るという。雑踏のサンジェルマンの中心でまばゆいホワイトのコーニッシュに乗る彼が目立たぬはずはない。だが、周囲の注目を敢えて楽しむかのように、劇中の人物のように堂々と振る舞う彼の態度と、いかにも馴染んだ様子のリネンのスーツには、パリにしか存在しない、自意識の強いエスプリがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらにリネンスーツというと思い出すのはジョン・ル・カレ原作『パナマの仕立屋』を映画化し、2001年に公開された『テイラー・オブ・パナマ』がある。主人公はピアース・ブロスナンだが、彼のスパイ活動を助ける、パナマ政府要人御用達の仕立屋をジェフリー・ラッシュが演じている。この中でジェフリー・ラッシュが着るのは、洒落たリネンスーツというより、むしろオールドファッションなスタイルのスーツだが、そこではパナマの気候風土と暮らしに溶け込んだリネンスーツを見ることができる。

 

 そもそもリネンとは北方ヨーロッパなど寒い気候で育つ亜麻科の一年草フラックスで織られた織物のことだ。天然繊維の中でもっとも耐久性が高いとされ、吸水性、吸湿性にも優れている。亜麻(フラックス)は通常の麻と比べると繊維が細いことからしなやかさと光沢感があり、時間を経て使い込むほどにしなやかさと光沢感が増していく。発色性にも優れ、デリケートな色合いの表現力もリネンの魅力のひとつだ。空洞状の繊維が空気を含んでいるので、実は冬温かく、夏は涼しい。サファリジャケットやドライビングジャケットの使い込まれて無造作にシワがよった佇まいもいいが、私の中での究極のリネンジャケットはナポリで見たものである。

 

 ナポリを代表するマエストロとディナーの後、レストランの外に出た。イタリアにいると、大抵ディナーの後は煙草を楽しむ時間となる。昔はレストランの室内で吸えた時代もあったが、いまはそんな時代ではない。こうなるとかえって煙草を吸うという反社会的行為自体に共犯意識が芽生えるような気がしてくる。たっぷりしたディナーのワインと食事の余韻を楽しみながら、この日も皆が思い思いに煙草を吸い始めた。

 

 リネンは一般的に硬い、ドライな質感が特徴とされている。しかし、その象牙のような色合いのリネンジャケットは、やわらかに美しくロールを描くラペル、張りのある立体感を持つドレープ、まろやかな質感があり、一目見たときに圧倒された。そのジャケットは時間とクラフツマンシップが創りあげたリネンならではの美しさを湛えていた。

 

 リネンジャケットをふわりと羽織り、指に挟んだタバコを吸いながら、彼は独特のしゃがれた低い声で言った。

 

「この通りには昔はあらゆるイタリアの名車が並んだものだ。それは壮観な眺めだった。いまは見る影もないが」

 

 紫煙の先にはナポリ湾、さらにその先に広がるティレニア海があった。深呼吸をすると、夜でさえナポリ湾の湿った熱気を感じた。私は潮混じりの熱気を含んだ風の中を走るアルファロメオ・ジュリア・スパイダーと、ドライバーズシートで風をうけてたなびくクリーム色のリネンジャケットを想像した。

 

 リネンには日常を離れた、実用性とは異なる、非日常を纏う美しさがある。オープンカーとリネンジャケット、双方に共通するのは、柔らかな空気を纏うような、あの自由な感覚だ。日々、延々と続くような日常生活に倦んだ時、人はオープンカーとリネンジャケットが恋しくなるのではないだろうか。

 

 

 

 

長谷川喜美(はせがわよしみ)

ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。クラフツマンシップやメンズスタイルに関する記事を中心とする雑誌媒体『メンズプレシャス』『Men’s Ex』『The Rake Japan』等に執筆している。近著に『サルトリア・イタリアーナ』『サヴィル・ロウ』等。インスタグラムアカウント:yshasegawa