パリとシャンパーニュ パリの美意識を愛せるか

パリは背徳の街である。

あらゆる欲望と豪奢と放蕩と贅沢を許容し、賛美する。「芸術の都」とは使い古された形容だが、芸術というものの本質は本来そういうものなのだろうと、パリに来るたびに実感する。

パリには何度も行き、フランスのテーラリングの本も出している。学生時代から思い入れのある場所や好きな場所は幾つもある。それなのに慣れ親しんだロンドンとは違い、パリにはいつまでたっても慣れることがない。パリではいつも自分が余所者だと感じる。

夕暮れの残照を湛え、やがて訪れる夜の興奮を待つセーヌ川の佇まい、しっとりとした乳白色の建築とオスマン様式で整えられた瀟洒な街並み、パリを訪れるたびに「なんと美しい街だろう」と感嘆するのと同時に、自分がどれほど美しいか、知り尽くしている女と会っているような気持になるのも事実である。

 
 

 

 

何故パリがこうした気持ちにさせるのか、その理由がわかったのはタキの『ハイライフ』を読んでからだ。この本によれば、ヘミングウェイはパリをこう描写した。

「だれもが一度はパリを愛す。愛しなどしなかった、といえば、嘘になる。だが、パリは、老いることを知らない娼婦のように、いまはまた別の愛人をその胸に抱いている」。

それでもヘミングウェイは最後の著書『移動祝祭日』の冒頭で、「残りの人生をどこで過ごそうともパリは君についてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」とまで書いたのだから、パリの魅力に抗うのは並大抵ではない。

 

さて、今回はシャンパーニュの話だ。私は格段、アルコールに強い方ではなく、むしろ、残念ながら弱い方だと思うのだが、不幸なことにあらゆる種類のアルコールを飲み、楽しむことができる。アルコールが私の人生に無かったら、どれほど効率的にもっと仕事ができただろう。人生でアルコールのために費やした無為な時間を考えると残念でならないが、それでも飲むのを止められない。ワインのような醸造酒から、ウィスキーといった蒸留酒まで、神と時間が作り上げた傑作にはそれぞれに異なる豊穣とした味わいがあり、仕事で訪れた醸造所や蒸留所を思い出すと、その味もより深く感じられる。ひとりで飲む酒も素晴らしい人々と分かち合う酒も、それぞれに素晴らしい。

なかでも好きなアルコールのひとつがシャンパーニュだ。17世紀の修道士ドン・ペリニヨンが行った画期的革命により生まれたこの酒は、瓶内二次発酵による繊細な泡立ち、テロワールが生む葡萄品種のバラエティに加え、メゾンのリザーブワインをミックスした時に生まれる複雑さと奥行きはシャンパーニュにしかないものだ。

シャンパーニュを飲むのに最もふさわしい場所はどこかと聞かれれば、それはやはりパリ以外あり得ない。シャンパーニュという世界で最も贅沢で空虚で洗練された酒が似合う街、それがパリでなくて他にどこがあるというのか。

 

パリではカフェを始め、色々な場所でシャンパーニュを飲んだ。夏なら夜8時くらいまで明るいパリではオープンエアの場所で飲むシャンパーニュは泡の喉越しがより美味しく感じられる。

クラシックな雰囲気が好みならル・ブリストルの芝生の見えるコートヤードがいい。あちらは客層もクラシックだから、夏休みになると乳母(ナニー)を連れたフランス人の家族連れが多く、かつての失われた伝統的なパリの情景を垣間見ることができる。

一方、コンテンポラリーな雰囲気が好みなら、パークハイアット・パリ・ヴァンドームだろう。場所柄、ヴァンドーム広場の隠れ家のようなパークハイアットはいつも業界人で賑わっている。今の洒脱なパリジャンの着こなしを見るにはうってつけの場所だ。夏の間はバカンスの陽気な雰囲気が楽しめる中庭でシャンパーニュを飲むのは気分がいい。

 

 

 

 

夕方といってもまだ明るい時間だったが、ビルカール・ソロモンのロゼ・シャンパーニュを飲みながら、待ち合わせをしている男性がいた。年齢にして50歳前後、クリーム色のコットンスーツにペールブルーのシャツ、ポケットスクエアも同じブルーのリネン、時計はカルティエのタンクでベルトはライトブラウン、足には砂漠のような淡いタンカラーのスエードのローファー。微妙に異なる、デリケートなベージュの組みあわ方にはパリの洗練が滲んでいた。

これこそフレンチスタイル独特の感覚であり、フランス語で「ノンシャランスnonchalance」、無造作感と訳せばいいだろうか。ジャン・ポール・ベルモント、セルジュ・ゲンズブールといったフランスの俳優はこのノンシャランスの体現者だ。自意識がありながら、さりげなく着崩した感じがフレンチスタイルには不可欠なのだ。
 
 

 

 

その都市でつくられるスーツや靴、そして固有のスタイルは、都市に宿る美学と共通している。それは長い時間をかけて磨き上げられた技術と作る者の美意識が製品に如実に反映されているからだ。

パリのスタイルはパリの街と同様に強い美意識と自己顕示欲を感じさせる。しかしイタリアのようにそれはストレートには表現されない。仕立ての構造はブリティッシュとイタリアンの中間とよく言われるが、むしろ北イタリアに近い気がする。主張の強いコンケーブショルダー、対照的にソフトなフィッシュマウスラペル、時にダンディともいえるクセのあるファブリックの使い方や、艶やかな色彩の感性にはフレンチスタイル特有の華やかさがある。

 
ところで、シャンパーニュを愛するのはフランス人だけではない。シャンパーニュのヨーロッパにおける消費量は英国が最大を誇っている。

「一杯のシャンパンは気分を高揚させる。

神経は研ぎ澄まされ、想像力は快く喚起され、頭の回転が速くなり機知に富むようになる。

一方、驚くべきことにボトル一本のシャンパンには正反対の効果がある」

こう語ったのはシャンパーニュ ポール・ロジェを愛し、自分の愛馬もポール・ロジェと名付けたほどシャンパーニュを愛したサー・ウィンストン・チャーチル。彼もシャンパーニュを愛した英国人のひとりだ。

シャンパーニュは初めの一杯は至福だ。だが、それを一本飲み干す頃には非日常は日常となり、情熱と興奮も色褪せる。ウィンストンが語ったように、人生も同じようなものなのだろう。

だからこそ、人は新たな最初の至福の一杯を求めて、旅に出る。

 
 
 
 
長谷川喜美(はせがわよしみ)

ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。クラフツマンシップやメンズスタイルに関する記事を中心とする雑誌媒体『メンズプレシャス』『Men’s Ex』『The Rake Japan』等に執筆している。近著に『サルトリア・イタリアーナ』『サヴィル・ロウ』等。
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