ロンドンとニューヨーク スーツの佇まいが語る街

 トルーマン・カポーティーの小説『ティファニーで朝食を』の主人公ホリー・ゴライトリーの名刺には住所がない。ただ〝Traveling(旅行中)〟とだけ、記されている。    これと同じで、私にとっては旅することが仕事のようなものなので、通年を通してほぼ毎月、海外の様々な都市を訪れる。なかでもニューヨーク、ロンドン、フィレンツェ、ナポリ、東京、こうしたスーツの似合う街で、それぞれにスーツの佇まいは異なっている。    グローバルスタンダードという観点からみれば、政治力に長けた英国人と英国に学んだアメリカ人の装いこそ、世界のスタンダードといえるかもしれない。現在の上下同素材のスーツの歴史は創世記である19世紀から20世紀にかけて英国によって作られてきた。英国の産業革命に続き、植民地政策の終焉が始まった1920年代、今度は富めるアメリカがスーツの歴史に台頭してきた。    スーツは政治と経済と結びついて発展してきた歴史から、世界の金融の中心であるロンドンのシティとニューヨークのウォール街は、ファッションがカジュアルになっている現在でも、圧倒的にスーツの街である。興味深いのは、彼らが例えメイド・イン・イタリーのスーツを着ていても、その着こなしは飽くまでブリティッシュスタイルということだ。    例えば、男はホーズを着用し、脛を人前で見せることはない。アクセサリーも許されるのは結婚指輪とカフリンクス、時計くらいと至ってシンプルだ。    一方で、彼らはピンクのシャツや太いストライプのブレイシス、鮮明なカラーのタイといったコントラストの強い服装を好む傾向があるが、それはそのまま彼らのエネルギッシュで貪欲な上昇志向を象徴しているに違いない。    さらにニューヨークでは、アメリカ人の着こなしの根底に英国への憧憬が常にあることを強く感じる。映画『グレート・ギャツビー』で、主人公ギャツビーがコレクションしているカラフルなターンブル&アッサーのシャツが空中に舞うシーンを覚えている方も多いことだろう。              さらに金融の街といえば、映画『ウォールストリート』も印象深い。『ウォール街』の続編にあたるこの作品では、インサイダー取引で刑務所に服役していたマイケル・ダグラス演じる投資家のゴードン・ゲッコーは出所後にロンドンのジャーミンストリートに向かう。自らの復活のシンボルとして、ここでスーツから靴までを購入し、装いを完璧に仕上げて戦場へ戻る。俺はここに帰ってきたのだと自分の中で再確認し、同時に社会にもアナウンスするための儀式となっている。スーツを着る時の高揚感が実に上手く表現されている。    ところで、このようにロンドンとニューヨークで同じブリティッシュスタイルでも、やはりその土地によってスーツの仕立てに対する哲学の違いがある。オーダーメイドのスーツをロンドンではビスポーク、ニューヨークではカスタムと呼んでいるが、ロンドンは個々に一から型紙を作る完全なビスポークを好むのに比べ、ニューヨークのカスタムはロンドンのビスポークと同意語ではない。    ニューヨークでひとりのカスタムテーラーにインタビューした時、「一から個々の体型に合わせて型紙をつくるなんて非効率だ。ベースパターンから補正する方が無駄がない。」と語るのを聞いた。どの方法にも長所と短所があるし、ニューヨークのテーラーがすべてこうした考え方をしているとは限らないが、20世紀以後、ブルックス・ブラザーズに代表される既製服の歴史を作ってきたアメリカならではの合理的な考え方ではないだろうか。    ニューヨークには「パワースーツ」という言葉がよく似合う。カラーはダークネイビー、スーツ全体のラインやシャツカラーも直線的でソリッドなものが好まれている。ウォールストリートを足早に歩くシングルブレスティッドのブラックのチェスターフィールドコートの男達、こうした潔いクールなダイナミズムもニューヨークではかっこよく見える。    逆に、英国人の価値観ではあからさまに新品だとわかるものや、コントラストの強い、わかりやすい着こなしというのは幼稚だと感じているらしく、派手な色彩や大げさな表現は好まれない。スーツのメインカラーのグレーとネイビーでさえ、何色もの色が存在するメランジュカラーを彼らは好んでいる。    バンク・オブ・イングランドに代表される、石造りの重厚な古典主義様式の建築が立ち並ぶシティでは、ピークドラペルのダブルブレスティッド、身体に馴染んだキャメルカラーのカシミヤコートの男達は、その存在自体が街の景観の一部であるかのようだ。    その土地でしか作り得ないスーツもあれば、その都市にしかないスーツの着こなしもある。それを肌で感じるのも私にとって旅の醍醐味のひとつとなっている。                       長谷川喜美(はせがわよしみ) ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。クラフツマンシップやメンズスタイルに関する記事を中心とする雑誌媒体『メンズプレシャス』『Men’s Ex』『The Rake Japan』等に執筆している。近著に『サルトリア・イタリアーナ』『サヴィル・ロウ』等。インスタグラムアカウント:yshasegawa